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近鉄の廃線跡を歩く その1(穴川駅周辺)

今日は風もなく、気温も上がったので、ちょっと散歩に出掛けました。
この近所には近鉄志摩線が走っています。志摩線は志摩電気鉄道が前身で、三重交通と合併の後、近畿日本鉄道と合併するまでの間は単線、狭軌、750ボルト直流電化の路線だったそうです。
しかし、鳥羽線建設とともに志摩線の改良を実施、1500ボルト昇圧、広軌化、そして曲線の改良がなされました。
昭和63年から志摩線の複線化が始まり、平成5年に大方が複線になりました。その際、白木駅~五知駅間、志摩磯部駅~志摩横山駅間(主に穴川駅周辺)が新線に切り替わりました。
また、志摩線は開通当時は賢島駅が終点ではなく、英虞湾の真珠港駅まであったのですが、昭和44年に廃線となりました。
白木駅~五知駅、穴川駅周辺、賢島駅~真珠港駅の3箇所を紹介していきたいと思いますが、今回は近場の穴川駅周辺です。

志摩磯部駅から賢島駅方面に向かって、穴川公民館を過ぎた直ぐの踏切付近から旧線は左に行きます。
写真でも左側に旧線の架線柱が遠くに見えます。

 

志摩線は今よりずっと海沿いを走っていました。
昭和33年4月には駅隣接地より近鉄志摩観光汽船が渡鹿野航路(穴川 – 的矢 – 三ヶ所 – 渡鹿野)の運航を始めたそうです。

 

冒頭の写真はキャンプ場「伊勢志摩エバーグレイズ」に沿った場所で唯一線路の残っているところです。
そのすぐ後に続くのがこの2枚の写真。
線路はないもののバラスや柵が残り、廃線跡がはっきり分かります。この付近に初代の穴川駅があったらしいです。

 

 

そして県道を渡って今や、ほとんど跡形もなくなった2代目穴川駅を過ぎると、一直線にこんな跡が続きます。叢で見難いものの、枕木で作った柵なども残っています。
高架化され、穴川トンネルを真っすぐに駆ける現在の路線と、このトンネルを抜けたあたりで、
合流します。

実は2代目の駅はユースホステルの裏山の真下に当たるところ。
きわめて身近にある廃線跡なのです。